3日後、帝都にある中央教会の大聖堂にて、アルファとマリアの結婚式が執り行われた。2人の結婚を神に伝える神官の役は、中央教会の教皇を兼任する皇帝ローゼスが行った。皇帝自ら腹心の部下の結婚式を行うということで、大聖堂の中には砂糖に群がるアリのように、権力に群がる貴族たちであふれていた。だが大聖堂の外には、それ以上に騎士アルファの結婚を祝福しようとする臣民の姿であふれている。
祭壇の前に立つローゼスに向かい、アルファとマリアが立つ。アルファは騎士としての礼装だったが、マリアは純白のウェディングドレスだ。ローゼスは聖典を片手に、笑みすら浮かべながら朗々と聖句を述べていく。そしてついに結婚式のクライマックス、宣誓の儀が始まった。「新郎、アルファ・ジブリール。お前はこの者を愛し、敬い、生涯を共にすることを誓うか」
アルファは少しだけ逡巡した。仕えるべき主である皇帝ローゼスの前で、偽りの誓いを立てることは許されない。生真面目な彼はそう思ったからだ。だから彼は決めた、“彼女にとって”望まぬ結婚だとしても、生涯愛し続けることを。そう努力しようということを。
「……誓います。陛下」
アルファの答えに、ローゼスは満足そうに小さく――アルファにだけわかるよう――頷いた。そして今度はマリアの方を見る。
「マリア・イグニス。お前はこの者を愛し、敬い、生涯を共にすることを誓うか」
イグニスとは、ローゼスの(味方がほぼ皆無だった)皇太子時代から、ローゼスを皇帝にと推していた数少ない侯爵家だ。ゆえにローゼスはこの婚姻に箔をつけるため、マリアをイグニス家に生まれた少女だと、情報操作を行っていた。幸いマリアの魔王を思わせる見た目が、イグニス家が彼女を隠し守っていた正当な理由として機能した。
「誓います」
マリアは何のためらいもなく、誓いの言葉を口にした。アルファがちらりと視線を向けると、彼女のまっすぐな瞳には喜びがたたえられていることが見てとれた。
「では、指輪の交換をもって婚姻の成立となす」
イグニス家の長男であり、アルファの同僚でもあるショウ・イグニスが二人の指輪をうやうやしく運んでくると、跪いてアルファとマリアに指輪を献じた。指輪にはめられている宝石は、ローズ帝国のみで取れるホワイトダイヤモンド――純白の輝きは永遠の純潔や高潔さを意味する――だった。アルファは白い手袋に包まれた手でマリアの左手を取り、彼女のレースがついた手袋を外すと、指輪の小さい方をつまみ上げる。そしてゆっくりと彼女の左手の薬指にその指輪をはめた。マリアは破顔しそうになるのをこらえるように、唇をムズムズとさせながらも、お返しにアルファの左手の手袋をはずし、残る指輪をはめた……。
◆◆◆
それから民衆向けのパレードを行い、貴族連中向けの披露宴を乗り越えたアルファはだいぶ疲れていた。それでも皇帝ローゼスが私室に来るよう命じたため、マリアを連れてローゼスの私室に向かった。そこにはローゼスとショウが待っていた。ローゼスは一人掛けのソファに座り、バラのように赤いワインを楽しんでいた。その背後には護衛としてショウが立っている。
「よく来たな、2人とも、まあ座れ! ワインを飲むか?」
酔っ払いと化しているローゼスの言葉に従い、アルファは失礼しますと言ってから向かいの2人掛けソファに腰を下ろす。マリアはアルファの隣にちょこんと腰かけた。イグニスが2人分のワイングラスを用意しようとするのを、アルファは止めた。
「イグニス卿、仕事に差し支えるのでグラスは用意しなくて結構です」
「えー、ぼくは飲んでみたいな」
「駄目だ。皇帝陛下の前で醜態を晒すな」
「……はーい、旦那様」
マリアの不承不承といった態度に先が思いやられる、とアルファは眉間を押さえたが、すぐに気を取り直してローゼスと向き合った。
「それでなんの御用でしょう、陛下」
「うむ。アルファ、マリア、お前たちは明日から早速新婚旅行に行け。その間に、この国の混乱を完全に収める」
「お言葉ですが、陛下。僕は帝都を離れるつもりはありません。陛下に侍り、御身をお守りするのが僕の仕事のはずです」
「しばらくの間だ。それにイグニスもおる」
「しかし……」
アルファは正直なところ、イグニス家を――というかすべての貴族を――信用していなかった。ゆえにローゼスの護衛をショウだけに任せるのは気が引けた。しかし本人がいる前でそれを言うわけにもいかなかった。
「ええい、うるさい。命令だ! 貴様はサウザスにある余の別荘で別命あるまで新婚旅行を楽しんでおれ!」
「……わかりました」
命令と言われては、逆らえないアルファだった。
「わーい、新婚旅行だー」
マリアは本当に喜んでいるのか微妙な態度で両腕を上げ、万歳をしてみせた。
「さあ、今夜は飲み明かすぞ! アルファ、お前も飲め!」
出会ってから10年以上、“私”を捨てて自分に仕え、皇帝になれるよう力の限りを尽くしたアルファの結婚がよほどうれしかったのか、ローゼスの機嫌は絶好調だった。
「ですから陛下、お酒は仕事に差し支えると……」
「貴様は今日から休みだ! だから仕事を気にせず飲め!」
ショウがアルファとマリアの前のテーブルにグラスを置くと、ローゼスがワインを豪快に注いでいく。さすがにローゼス自ら注いだワインを断るわけにもいかず、アルファは「……いただきます」とグラスを手に取った。マリアもグラスに手を伸ばし、持ち上げた。因みに帝国では、10歳からアルコールを飲むことが許されている。
「では、アルファ、貴様たちの末永い幸福と帝国の繁栄を祈って、乾杯!」
「……乾杯」
「かんぱーい」
護衛役のショウを除いた3人の宴会は、明け方近くまで続いた……。
「ちぃっ」 アルファとミカエルと思われる天使、以下ミカエルとのつば競り合いは激しいものだった。ミカエルの細腕からは信じられないほどのパワーが発揮されており、アルファの顔にじりじりと自身の剣が迫ってくる。「アルファ!」 マリアは「“リエゾン”をしなければ!」と焦るが、ミカエルの攻撃は激しくなる一方で、その聖剣を何度も振るって来ていた。アルファは防戦一方で、受けとめる剣にもダメージが増加していく。まずはミカエルとアルファの距離を取らせなければ、マリアは得意とは言えない“魔法”を行使した。〈なに?〉 マリアは魔力を増幅させ、それをミカエルにぶつけた。ミカエルは不意の一撃に動きを止め、マリアたちから距離を取る。その隙にマリアはアルファの唇を奪った。「んむっ」 驚くアルファをしり目に魔力を流し込むマリア。それによってアルファの瞳が赤く輝いたのを確認すると、彼女は唇を放し、へたりこんだ。「マリア……下がっていろ」「うん……そうさせてもらうよ」 マリアがけだるそうにうなずくと、アルファの後ろに下がる。その間も、ミカエルは攻撃をしてこなかった。興味深そうに、あるいは忌々しそうに、2人が“リエゾン”する姿を見ていた。〈なるほど、それが“リエゾン”か〉 ミカエルは“リエゾン”の力を試すように翼をはためかせ、剣を振るう。しかし未来を“視る”力を得たアルファはたやすく剣を避け、ミカエルの身体を切りつけた。〈なるほど、確かに手ごわい。だが……〉 身体を浅く切られたミカエルは後ろに飛びのき、アルファとマリアの周囲に数多の光の剣を召喚する。四方八方を方位される未来を“視た”アルファは、回避不可能であることを悟った。〈消えよ〉 アルファは未来を視ている。だから咄嗟に動くことができた。光の剣が降りかかるより先にマリアの身体を抱きしめ、自身の身体で庇う体制を取った。マリアがアルファの名前を呼ぶより先に、光の剣が降り注いだ……。◆◆◆ アルファは瞼を閉じ、来る“死”の痛みに備えた。だが不思議なことに、いつまでたっても“死”が彼に降りかかることはなかった。アルファはゆっくりと目を開き、あたりを見回す。そしてすぐに異変に気付いた。「これは……闇の結界、か?」 アルファとマリアの周りを宵闇よりなお昏い闇が球体を描くように展開し、光の剣の攻撃を防いでいた。そして闇の向こ
サウザスの民族衣装ユカタに着替えたアルファとマリアはサウザス王を待っていた。「お揃いだね」 マリアがうれしそうに言うように、2人のユカタは同じ六芒星の模様――籠目――だった。ユカタの色はアルファが黒、マリアは白だった。しばらくの間、2人は祭の見渡せるテラス席で椅子に座ってサウザス王を待っていた。そしてサウザス王の従者が、「国王陛下の御着きです」と声をかけてきた。 その声を受けてアルファは椅子から立ち上がった。出迎えのためだ。しかしマリアが立ち上がらないので、アルファは「こら立て」と小声で叱った。「……やれやれ」 アルファにだけ聞こえるようにそうつぶやくとマリアも立ち上がり、2人揃ってサウザス王を迎えるため、テラスを出た。そして廊下を歩いていると、テラスに向かって歩いていたサウザス王と鉢合わせすることになるのは必然だった。アルファが早速片膝をついて、礼意を示す。「お久しぶりです。サウザス国王陛下」「久しいなアルファ。そちらは……」「妻のマリアです。はじめまして、サウザス国王陛下」 マリアも深々と頭を下げて礼意を示す。小太りの老人であるサウザス王は、うれしそうに笑った。「ははは、そう畏まるな。アルファ、お前さんのことは実の息子のように思っているのだからな。マリアさん、お堅い奴だがアルファは良い奴だ。くれぐれもよろしく頼むよ。ではいこうか」「はい」サウザス王が先頭を歩き、その後ろをアルファとマリア、そして王の護衛である家臣が続いた。やがてテラスに出ると、サウザス王は家臣の用意した椅子に座り、その左にアルファ、さらに左にマリアが座った。「しかし、本当に久しいなアルファ。息災であったか?」「はい、国王陛下。陛下もお変わりなきようで」 アルファの慇懃な態度に、サウザス王は不満そうな声をもらした。「そんな堅苦しい。昔のようにおーさまと呼んではくれぬのか? 私はそなたのことを息子のように思っているのに」 そんなサウザス王に「恐縮です」と返すアルファの頑固さに、マリアは笑いそうになった。「息子、ということは国王陛下とアルファ様は、親しい間柄で?」「なんだアルファ、そんなことも話していないのか?」「ええ、まあ……」「皇帝陛下の母はこの私の娘なのです。ゆえに幼き時分に姿を隠さなければならなかった陛下を私がお匿い申し上げました。そのとき陛下の護
手を繋いで祭の会場である街にまで来たアルファとマリアを、周囲の人間はどう思っただろうか。カップル? 仲のいい兄妹? 少なくとも奇異の目で見てくる者は少なかった。マリアの赤い瞳も麦わら帽子で隠れ気味だったし、なにより帝都と違ってサウザスでは魔王伝説はあまり信じられていなかったことが大きい。「おお、これが星祭か。ずいぶんにぎわっているな」 星の飾りがあちこちにちりばめられ、露天がならび、多くの人々でむせ返るような熱気に包まれた街に、マリアは瞳を輝かせた。「それでアルファ、まずはどうすればいいんだ?」「そうだな……」 初めて星祭に参加する者になにから遊ばせればいいかと悩んでいると、露天の主人が早速とばかりに声をかけて来た。「おにいさん方! よかったら射的、やってかない!?」「射的……?」 マリアが首をかしげる。「的になっている景品を銃で撃ち落とすと、その景品がもらえる遊びだ。やってみるか?」「うん!」 年相応の笑みを浮かべて頷くマリアに、アルファは銀貨を一枚渡した。それを店主に渡したマリアは代わりに銃を受け取り、早速熊のぬいぐるみに狙いを定め、トリガーを引こうとしたが……。「ううーーーーん!」 思った以上にトリガーが固く、非力なマリアはうなった。そしてどうにかこうにか一発射出したが、当然のごとくあらぬ方向に飛んで行ってしまった。「アルファぁ……」 途端にマリアは泣きそうな声を出した。アルファはため息を吐き、マリアから銃を取り上げた。「あっ……」 マリアの代わりに熊のぬいぐるみに照準を合わせると、銃士隊から習った態勢で、静かにトリガーを落とす。引くのではなく、落とすのがポイントだ。するとコルクでできた銃弾は熊のぬいぐるみの額に命中し、見事に棚から落下した。「おめでとー‼」 店主がカランカランとハンドベルを鳴らす。そして熊のぬいぐるみを拾いあげると、アルファに渡した。彼はそれをマリアに突き出した。「ほら、欲しかったんだろ」「あ、ありがとう……」 マリアは消え入りそうな声でそう言うと熊のぬいぐるみを受け取り、ぎゅっと抱きしめた。そして照れ隠しのように笑った。「あはは、旦那様からの初めてのプレゼントだね。大事にするよ」「そうか、まあすきにしろ……ほら、いくぞ」 年相応のところもあるものだと思いながら、アルファは再びマリアの手を
サウザス地方に向かう馬車の中、アルファはすこしだけうとうととしていた。朝まで深酒に付き合わされたのと、久しぶりの休みに気が緩んでいるのもあるのだろうか。気を引き締めなければ、と思うアルファの頭を掴み、マリアは自分の膝の上に乗せた。いわゆる膝枕だった。「……なにをしているんだ?」「膝枕だ。知らないのかい?」「そういうことを言っているんじゃない」「少しは休みなよ。アリスもいるし、護衛の騎士たちもいるじゃないか」「うる、さい……」 マリアに頭を撫でられ、アルファは不思議な安らぎを感じていた。とうとう眠気に耐えることができなくなり、彼はまぶたを閉じた。そのまま眠りに落ちたアルファは、彼にしてはめずらしく熟睡するのであった。「かわいいね、ぼくの旦那様は」 マリアは口元に笑みを浮かべながら、眠ってしまったアルファの頭を撫で続ける。そしてちらりと横目で護衛の騎士たちが乗る馬を見る。(まあ、旦那様の心配もわかるけどね。誰がいつ裏切るかもわからないんだから) そこでマリアは未来を“視る”力を発動する。裏切られる未来は視えなかった。代わりに視えた光景に、マリアはすこしだけ顔を赤らめた。「……まったく素直じゃないね、旦那様は」 マリアは、アルファを撫でる手をますます優しく丁寧にしていった。その間も馬車と護衛の騎士団は、サウザスにあるローゼスの別荘に向かっていった。◆◆◆ サウザスは帝都から南に行くとあるローズ帝国の一部を成す国だ。火山地帯のため、温泉が名物で、ローゼスの別荘は湖畔の近くにある。そこは帝都から遠ざけられていた幼いローゼスとアルファが過ごした場所であり、皇帝の別荘と呼ぶには小さい2階建ての建物だった。 建物の前で止まった馬車から降りたアルファとマリア、そしてアリスは、帰還する騎士団を見送ると、屋敷の中に入っていった。「アリス、今日の予定は?」 アルファはいつもの調子で、後ろを歩くアリスにそう尋ねた。口にしてから今は休暇中だったと思い出す。しかしアリスはそんな主人のミスを指摘するでもなく、いつものように返してくれた。「偉大なる皇帝陛下からは、余の名代として星祭を視察するようにと仰せつかっております」「星祭か、懐かしいな」「……星祭?」 マリアは知らない単語に首をかしげる。「なんだ、星祭は“視て”いないのか。星に感謝をささげる祭だ。
3日後、帝都にある中央教会の大聖堂にて、アルファとマリアの結婚式が執り行われた。2人の結婚を神に伝える神官の役は、中央教会の教皇を兼任する皇帝ローゼスが行った。皇帝自ら腹心の部下の結婚式を行うということで、大聖堂の中には砂糖に群がるアリのように、権力に群がる貴族たちであふれていた。だが大聖堂の外には、それ以上に騎士アルファの結婚を祝福しようとする臣民の姿であふれている。 祭壇の前に立つローゼスに向かい、アルファとマリアが立つ。アルファは騎士としての礼装だったが、マリアは純白のウェディングドレスだ。ローゼスは聖典を片手に、笑みすら浮かべながら朗々と聖句を述べていく。そしてついに結婚式のクライマックス、宣誓の儀が始まった。「新郎、アルファ・ジブリール。お前はこの者を愛し、敬い、生涯を共にすることを誓うか」 アルファは少しだけ逡巡した。仕えるべき主である皇帝ローゼスの前で、偽りの誓いを立てることは許されない。生真面目な彼はそう思ったからだ。だから彼は決めた、“彼女にとって”望まぬ結婚だとしても、生涯愛し続けることを。そう努力しようということを。「……誓います。陛下」 アルファの答えに、ローゼスは満足そうに小さく――アルファにだけわかるよう――頷いた。そして今度はマリアの方を見る。「マリア・イグニス。お前はこの者を愛し、敬い、生涯を共にすることを誓うか」 イグニスとは、ローゼスの(味方がほぼ皆無だった)皇太子時代から、ローゼスを皇帝にと推していた数少ない侯爵家だ。ゆえにローゼスはこの婚姻に箔をつけるため、マリアをイグニス家に生まれた少女だと、情報操作を行っていた。幸いマリアの魔王を思わせる見た目が、イグニス家が彼女を隠し守っていた正当な理由として機能した。「誓います」 マリアは何のためらいもなく、誓いの言葉を口にした。アルファがちらりと視線を向けると、彼女のまっすぐな瞳には喜びがたたえられていることが見てとれた。「では、指輪の交換をもって婚姻の成立となす」 イグニス家の長男であり、アルファの同僚でもあるショウ・イグニスが二人の指輪をうやうやしく運んでくると、跪いてアルファとマリアに指輪を献じた。指輪にはめられている宝石は、ローズ帝国のみで取れるホワイトダイヤモンド――純白の輝きは永遠の純潔や高潔さを意味する――だった。アルファは白い手袋に包まれた
「はあ……」 大浴場がある屋敷は帝国でもめずらしい。庶民の目線なら、贅沢なことこの上ないレベルだ。そんな珍しい場所で、アルファは湯につかりながら、ため息を吐いた。ローゼスのわがままに付き合うのは慣れたものだが、さすがにここ数日はいろんなことが多すぎた。(結婚、ねえ) ローゼスから勧められたり、貴族連中からうちの娘を、と言われたりということはこれまでにも何度かあった。ローゼスからすれば自分の側近の家系を作って歴代の近衛にしたいというのもあるのだろう。それに対して貴族連中はもっと下種なもので、気難しい皇帝ローゼスに近づく手段として娘を差し出そうというのが見え見えだった。その様は、何度見てもアルファには愚かとしか思えなかった。(まあ、そういった面倒事が減るなら結婚するのもありか) 親の愛を知らず、愛のない結婚をする。自分の子どもは不幸になるのだろうな、とネガティブなことを考えていると浴室に声が響いた。「アルファ……!」「なん、だ……って風呂に入ってくるな! 前を隠せ!」「いいじゃないか、結婚するんだし」 アルファが振り返った先には、一糸まとわぬ姿のマリアと、メイド服を着たアリスだった。アリスはのんびりと「失礼しております」と言って頭を下げた。マリアはその後アリスを伴って洗い場に向かった。「……まったく」アルファは早々に湯舟からあがって脱衣場に行くことにした。後ろからマリアたちの姦しい声が聞こえてくる。アリスもアルファに仕えた当初から、現在に至るまで、彼の入浴の手伝いをすると言ってきかなかったが、そこにマリアも加わり、余計に手に負えなくなったとアルファは思うのだった。「ち、アルファの奴は逃げたか。ならアリス! 一緒に入るぞ!」「え、え? 服を引っ張らないでくださいー」――バシャア! アリスが制止した時には、既に遅かった。◆◆◆ 場面は食堂に移り、夕食の時間。ほかに使用人がいるわけでもないのだから一緒に食べればいいものを、頑なに一緒に食べないアリスに見守られながら、アルファとマリアは食事を摂っていた。「……なあ」「なんだい」「お前、そのテーブルマナー、どこで習ったんだ?」「変かい?」「そんなことはないが……」「未来を“視る”ことで未来の自分が身に付ける技術を先取りすることができるんだ」「ふうむ」 未来を本のようなものだとマリ